名古屋を代表するデパートといえば松坂屋。
この松坂屋の創業者「伊藤次郎左衛門祐民」の別荘一帯を「揚輝荘」といい、
名古屋の覚王山に現存しているのをご存知ですか?
迎賓館や社交場をとして使われていたという「揚輝荘」に 今回は行ってみました。
さぁ! 大正〜昭和初期にタイムスリップですよ〜。
大事な人を招く場所 揚輝荘とは?
「伊藤次郎左衛門祐民」さんが、大正7年〜に別荘として作らせたのが「揚輝荘」。
祐民さんは商工会議所や、財界、政界によく出入りしていたのだとか。
彼は考えます。
「知り合った大事な友人を名古屋に招きたい!」
「でもそんな一流のホテルがその当時の名古屋にはない」
「こりゃいかん」→「ならば作ってしまえ!」
というわけでおもてなしの為に作られたのが揚輝荘。
宿泊は、一日一組のみという徹底ぶり。
宮家をはじめ、華族、政治家、文化人のほか、留学生の受け入れも行い
多くの著名人が泊まりにきたそうです。
戦後はGHQの家族が住んでいたそうですよ。
↑元々は書棚。でもGHQ将校が所有するカービン銃を置くために改良されたそうです。並んだ丸い穴は、銃のグリップ部分を置く場所ですね。
広大な敷地 現存する貴重な5棟
初めに作られた1棟から、広がり、広がり…最終的には30数棟あったとか。
約1万坪(35,000平方メートル)の森を拓いて築かれたと言いますから
お驚きの広さです。
残念ながら、空襲でそのほとんどが消失したり
暴風雨による老朽化、開発等の影響で
敷地・建物の大半が失われてしまいました。
(当時の広大な敷地の様子は、館内のジオラマで見ることができますよー)
現存しているのは5棟だけ。
すごいのがこれらはほぼ、建設当時の姿で
名古屋市の「指定有形文化財」に指定されていること。
大正から昭和初期にかけて建てられた建築物や調度品に
直に触れることができる!なんて素晴らしい施設なんでしょう。
伊藤次郎左衛門祐民とは?
伊藤次郎左衛門祐民(いとうじろざえもんすけたみ)さんは
名古屋の老舗デパート「松坂屋」の創業者で
なんと!江戸から続く「いとう呉服店」という呉服屋の15代目です。
とても精力的に活動されてい方で、あの有名な「渋沢栄一」と
日本実業家渡米団に名古屋の代表の一人として最年少で参加をしています。
その茶目っ気ある性格からか、はたまた当時には珍しい高身長からか、
渋沢栄一には大変可愛がられ「キリン」と呼ばれていたそうですよ。
この時作ったのが、シルクハット。
そしてシルクハットのケース。
このケースに入れて、世界を旅したのですね。オシャレだぁ…。
こうして渡米した祐民は、帰国後も東西の実業家たちとの交流を深め
精力的に人脈作りを続けます。
その大事な人たちをおもてなしする為に揚輝荘の建設が必要だったんですね。
また、幼い頃から、狂言、漢学、茶道、絵画、弓道など多方面の学芸・趣味を学び、嗜んでいたという多趣味の祐民さん。
この揚輝荘の中にも、その祐民さんのセンスの良さがや想いが随所にあらわれています。
時は、裸電球の時代。でも揚輝荘にはすでに間接照明を取り入れたりしていますから、かなり近代的な建築物だといえますね。
基本情報
- 〒464-0057 名古屋市千種区法王町2-5-17
- TEL 052-759-4450
- 開館時間 9時30分~16時30分
- 休園日 月曜日(祝日の場合はその直後の平日)、年末年始(12月29日~1月3日)
- 一般・高校・大学生 300円
- 市内在住の高齢者(65歳以上) 100円
- 中学生以下 無料
※障害者手帳等・特定医療費受給者証等をお持ちの方は無料です。
そのほかにも入館料の減免があります。詳しくは、公式HPか電話にてお問い合わせください。
※情報は掲載時のものです。最新の情報は公式HPや電話にてご確認ください。
まとめ
今回は、揚輝荘の持ち主「伊藤次郎左衛門祐民」さんのご紹介と
その揚輝荘が建てられた時代背景に迫りました。
次回は、いよいよ建物内の魅力をご紹介しますよー!
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